11月4日(月曜日、振替休日)、東京のアルカディア市ヶ谷富士の間で「黄文雄先生を偲ぶ会」が行われ、約80人が出席した。主催は台湾独立建国聯盟日本本部。
午後1時半より受付が始まった。式次第と白い菊の花を受け取った参加者は、黄文雄先生の写真の前で献花をし、席につき始めた。「最近は足が悪くなって会合には出ないことにしているが、今日は黄文雄さんを見送るためだから特別に来た」という高齢の参加者もいた。
会場では鄭児玉作詞、蕭泰然作曲の『台湾翠青』が流れていた。司会を務める渡邊昇・中央委員より「台湾独立が実現したときの国歌」であると紹介があった。2時10分を過ぎた頃、司会より開会の宣言があった。「ひとりの作家を偲ぶ会ではなく、黄文雄先生の遺志を継ぐ意思表示の会」だと説明があった。
黙祷をした後、開会の挨拶に立った林建良・委員長は、戦後の日本は中国に遠慮していて、日本の媒体は、中国の真実面を紹介しない。世界で一番高いモラルを持つ日本が、モラルの無い中国に頭を下げるのは本末転倒だ。それを糾したのが黄文雄先生だ。日本人が知らないのは水滸伝にあるようなドロドロと陰湿な「中国人文化」であり、これは世界の問題だが、黄文雄先生の著作がこのことを教えてくれる。アジアを平和な社会に導くのは台湾人の使命である。なぜなら、台湾人は台湾人でありながら中国人教育を受けたので中国人のことを知っているからだ。台湾独立が実現したとしても、隣に悪が存在している限り平和はない。悪をバラバラにするのが台湾独立建国聯盟の使命であり、一国の独立がアジアを平和にする。これが黄文雄先生の願いである、とした。
参加者代表として、許世楷、門田隆将、宮崎正弘、福島香織、王紹英の5氏が「偲ぶことば」を述べた。
元台湾駐日代表(大使)で、台湾独立建国聯盟の元老のひとりでもある許世楷氏は、自分より4つ若い黄文雄先生を見送ることは遺憾である。今日飾られた写真は、優しそうな笑顔だが、いかめしい、強い面もあった。かつて集会を行う際には、黄文雄先生は常に警備担当に選ばれ、実際に妨害者を警察に突き出したこともある。他方、論文1200本、著書230冊を出した。文武の人だ。著書では、台湾、日本、とくに中国について論じているが、中国の古典について良く知っていて、それを参照しながら、中国の文化・政治・経済を論じ、我々が進むべき方向を示唆してくれた、と語った。
門田隆将氏は、ある時、黄文雄先生に、ちょうどこの会場の近くの靖国通りを歩いているときに出くわしたという。今何をしているかと聞かれたので、根本中将を台湾に送り届けた李鉦源という人がどんな人物かわからなくて困っていると話したところ、「その人の娘を知っているかもしれない」と、紹介してくれて、謎がすべて解明した。解決したことを話すと、我がことのように喜んでくれた。靖国の英霊が引き合わせてくれたのだと思う。また総統選のたびに大宴会をやってくれた。黄文雄先生の笑顔はみんなをまとめて前に進める笑顔であり、学者がネタ本にするのが黄文雄先生の本だ、という。
宮崎正弘氏は、黄文雄先生のブラックユーモアについて触れた。植えた種が偽物で農薬を飲んで生き返った農民の話を紹介した。中国はチベットを侵略し言葉を奪った。黄文雄先生と一緒に台湾大学で講演した際、自分は中国語への通訳をつけたが、黄さんは最初から最後まで台湾語で通した。台湾語がわからない若い学生がいるようだったので、最後まで台湾語で続けるのか、と聞くと、「そうだ」との返事だった。台湾独立運動の精神は言葉を守ることにあるのだと自ら実践して示した。いつも冗談ばかり言って、食事を奢っているだけではない黄文雄の本質だ、と振り返った。
福島香織氏は、作家・黄文雄と出会った作品として、『食人宴席―抹殺された中国現代史』(鄭義著、黄文雄訳、光文社1993年)を御実家から持ってきて、参加者に示した。黄文雄先生は刺激的なタイトルで手に入れやすい本をたくさん出し、「月刊黄文雄」、「週刊黄文雄」などと言われた。大衆的な本の中に、歴史・古典・哲学のエッセンスを詰め込んで、勉強してみようかと好奇心を刺激した。黄文雄先生は、生き字引であり、台湾ジャーナリストのメンターであり、感謝の思いは言葉に尽くせない、とした。
王紹英・在日台湾同郷会元会長は、黄文雄先生について、冷徹な哲学者と熱血の革命家をコラージュしたイメージだという。初めて本人に会ったのは、40年前にまさにこの会場で開かれた228事件記念会だった。演壇中央の横幕には「打倒中華民国体制」と書かれていて、会場には命知らずの革命家たちがたくさんいた。感動し、震撼させられた。著書の行間には、中華思想を打破する強い闘志、日本への深い敬意、台湾への濃厚な愛情が充満していた。台湾の民主化にも影響を与えた。黄文雄先生が「中華民国のままではいけませんね。皆さんもっと頑張ってくださいよ」と言っているように思う。黄文雄先生が描いた台湾の将来を我々が実現していきたい、と決意を表明した。
そのあと司会は、来場者の中から、アジア民主自由連帯協議会のペマ・ギャルポ会長、関東信頼友の会の蕭悧悧会長、日本文化チャンネル桜の水島聡社長を紹介した。
そして国際政治学者の藤井厳喜氏からの追悼メッセージを多田恵・国際部長が代読した。ある年、黄文雄先生が19 冊もの本を出版し、「過労の為に 3回倒れた」という。何故、それほど多くの本を出版するのか問うと、「我々は多勢に無勢なのです。とにかく敵陣営は人数が多いので、全体としての本の数も多い。だからそれに対抗する為には、一人で何倍もの本を書かなければならない」という答えだったという。藤井厳喜氏は、「黄文雄先生の著作は今後も末永く、我々を導く、暗い夜における灯台のような役割を果たすことだろう」と指摘し、故人を悼んだ。
片木裕一・総務部長が閉会の挨拶に立つと、林委員長をはじめ、受付などを担当していた盟員およびサポーターが壇上に並んだ。片木総務部長は、「台湾独立」とは本来、「中華民国」を「台湾」に換えるという「国内問題」だったものが、国連などでの中華人民共和国政府の承認により国際問題化したものだと指摘。そのころ、1970年代の日本はパンダを預かって日中友好で盛り上がっていたが、それに警鐘を鳴らしたのが黄文雄先生だった。今や日本社会は中国の問題に気づいたが、日本の政治家はいまだに日中友好を言っていて情けない。我々台湾独立建国聯盟は黄文雄先生の中国への警鐘を今後も引き継ぎ、ますます努力していきたいとし、最後に、壇上の盟員たちと共に一斉に頭を下げて支持を呼びかけた。
(記録:多田恵・台湾独立建国聯盟日本本部国際部長)