台湾独立建国聯盟日本本部
王明理
台湾の統一地方選挙の結果に愕然、唖然とし、怒りを通り越して、深く失望している。
中国が台湾のこの選挙に深く介入していることはアメリカも指摘していたし、中国資本の多いマスコミの弊害も以前から言われてはいたが、台湾人が、中国との統一を目論む国民党を選ぶはずがないと心の中で油断していた。恐らく、蔡英文総統をはじめとする民進党、そして、その支持者の中にも同様の油断があったと思われる。
なぜなら、台湾人が戒厳令下で自由を奪われ、弾圧されて生きていたのはついこの前のことで、解放されてからまだ30数年しか経っていないからだ。戦後やってきた中国国民党によって数万人を超える台湾人が虐殺された。逮捕され、長期刑に処せられた人も数知れない。被害に遭わなかった人でも、家族や知人など身近にそうした例は多く、いつ自分の身にそのような不幸が降りかかるかと不安を覚えながら生きていた。その記憶はまだ薄れていない。だから、やっと手に入れた自由と人権を、台湾人が易々と国民党の手に渡すはずがないと思っていた。
しかも、今や、国民党は以前かぶっていた化けの皮をかなぐり捨て、「中国との統一」を望んでいることを隠そうともしない。高雄の選挙戦でもそれは明らかであった。今の中国と一緒になることは、何を意味するのか。それは、自由で民主的な社会を捨て、共産党の一党独裁の支配下に入ることである。
今、中国に支配されている諸民族がどれだけ苦しみ、その圧政、弾圧、人権侵害から逃れたいと願っているかを台湾人は知らないのか? チベット人やウイグル人やモンゴル人や他の民の苦しみの声を聴いたことがないのか? 甘い言葉に騙されて、中国に「復帰」した後で、後悔している香港のことを知らないのか?
中国が囁く「経済連携」や「優遇」という言葉は、台湾侵略のための甘い罠であることはちょっと考えれば分かりそうなものだ。「巧言令色少なし仁」とはまさに、そういうことが横行する中国で生まれた諺である。言葉巧みに台湾を手に入れようと目論む中国に、自ら跳びこむことを選ぶ人たちがいるとは全く信じがたい。利益追求は安定した確固たる国があってこそ求めるべきであり、国の尊厳と天秤にかけられるものではないはずだ。
今、台湾人が享受している平和で自由な空気は、天から降ってきたものではなく、多大な犠牲の上に手に入れたものだ。かつての国民党の一党独裁体制から民主化に生まれ変わるために、台湾人がどれだけ努力し、忍耐し、尽力したか。李登輝さんという稀有な人材が副総統から総統になるという奇跡が無ければ、有り得ない革命だった。台湾人は世界史にも燦然と輝く無血革命を成し遂げた民族であったはずだった。
未だ正式な独立国家とはなっていないが、苦悶の歴史からやっと脱却しつつある過程で、まさか自ら後退を選び苦しい過去へ逆走し始めるとは思わなかった。
蔡英文政権の執政のまずさがあろうとも、それは致命的ではなかった。経済は馬英九政権時代よりも上向き、失業率も低下し、国民党時代の不正義を正す難題にも手をつけていた。とにかく、たとえ、どんな失政が仮にあろうとも、異民族の一党独裁体制に組み込まれたいなどと、まともな人なら思うはずがない、と私は考えていた。私こそが平和ボケしていたのかもしれない。台湾人のなかに、かつての国民党支配下で培われた「強いもの、長いものに巻かれろ」という生き方や、「遠い将来のことより、目の前の安全と利益を大事にする」傾向がまだまだ根付いていたのかもしれない。
台湾独立運動の先輩達は、台湾人の性質や立場を理解しながらも、いや、そうであるからこそ、台湾人の自立のために、身を賭して理想の実現に取り組んできた。その努力がなかったら、今の自由な社会は無かった。彼らの想いを無駄にしたくはない。しかし、今は、ただ溜息しか出てこない。