台湾独立建国聯盟日本本部
王明理
去る9月9日、台南市の呉園(台南公会堂のある公園)内に王育徳記念館がオープンした。王育徳(1924年-1985年)の33年目の命日にあたるこの日、偲ぶ花ではなく、開館を祝う花が李登輝元総統をはじめ多くの人から寄せられた。生涯を台湾の為に捧げ、それ故に国民党独裁政権の下では帰国を許されなかった王育徳が、初めて故郷に迎えられた凱旋の日であった。
228事件で検事だった兄王育霖を殺され、それ以後も身の回りの関係者が次々と逮捕されていく状況の中、王育徳はやむを得ず、国外に脱出することを選択した。25歳で愛する故郷を後にしなければならなかったが、日本に亡命して自由を得た王は、それ以後かえって全力で台湾の為に生きることができた。
記念館の設立は2年前、当時台南市長だった頼清徳氏が決定し、台南市政府文化局がその責を担った。王が61年の生涯の間に果たした台湾への貢献を評価してのことである。台湾独立運動、台湾語研究、台湾の歴史研究、台湾人元日本兵士のための補償実現に向けての活動など、王の軌跡がよく分かるような展示館となっている。
記念式典は、オペラ歌手古川精一氏による「祖国台湾」(作詞作曲王育徳)の独唱と、師範大学声楽家コーラスによる歌で始まった。続いて、著名な詩人李敏勇氏がこの日の為に書きおろした「流亡、帰郷―紀念王育徳前輩」を自ら朗読。その後、張紹源・台南市副市長、葉澤山・台南市政府文化局長、呉密察・国史館館長、陳南天・台湾独立建国聯盟主席が祝辞を述べ、最後に遺族として王の妻で筆者の母の王雪梅、二女の筆者、孫の綾が謝辞を述べた。
その後、王育徳記念館看板の除幕式が行われた。出席する予定だった頼清徳行政院長は前日の大雨で北部に被害が出ていることから出席を見合わせたが、式典後に館内を見学していた筆者ら遺族に、直接電話で祝いの言葉を伝えた。
式典には、約400名が参加したが、日本からも王の明治大学の教え子や「台湾人元日本兵士の補償問題を考える会」のメンバーだった弁護士、有志らが参加したほか、王の台南第一中学校の教え子も高雄やアメリカから駆けつけた。また、産経、毎日、朝日、時事通信など日本のメディアが取材に訪れ、台湾のメディアを驚かせた。
その後、9月21日には黄昭堂記念公園が台南市七股にオープンした。「台湾青年社」創立メンバーである王育徳と黄昭堂の記念館、記念公園が相次いでオープンしたことは何を意味するのか。二人が今日の台湾の民主化に与えた影響が評価されただけでなく、今もまだ内外共に不安定な状況にある台湾にとって、王と黄が訴え続けたことを一つのマイルストーンとして残そうという意図を感じとることができる。