昨日(4日)、新宿の京王プラザホテルで台湾独立建国聯盟日本本部主催の2・28時局講演会が行われた。その模様の一部を御報告する。筆者が花粉症で朦朧としていたため、漏れや記憶違いがあるかもしれないが、ご容赦願いたい。
台湾から若手の講師を招き、日本語通訳を介して台湾語で講演を行うという、日本本部としては新鮮な取り組みであったが、約200名が参加し、熱い質疑応答も見られた。大学生や新社会人など若者の比率も若干高まったようだ。また、陳南天主席も出席し、次の世代と日本本部の活動を見守った。
金美齢氏の挨拶の後に登場した、台湾独立建国聯盟副主席・沈清楷(しん・せいかい)講師は、「現状維持」の意味合いがさまざまであることを分析。台湾の「両岸人民関係法」は「統一」が前提かのようになっているが、民主化が始まったばかりの1992年の制定であり、台湾人民の意思を反映していないと指摘した。また、今年の2月28日に、米国では台湾旅行法が通過し、飴と鞭を使い分ける中国が台湾人の人心を掌握しようと31項目の「優遇措置」を発表したこと、また、自身も関わって「喜楽島聯盟」が結成されたが、これには、李登輝氏、陳水扁氏の総統経験者、台湾自救宣言の彭明敏(ほう・めいびん)氏、美麗島事件の際に台湾基督長老教会総幹事長として「政治犯」を匿った高俊明牧師および台湾派の各政治運動団体が参加しており非常に意義があると紹介した。また現状の国民投票法は、本来制限されるべきではない人民の権利が制限されているという問題も指摘した。
なお、この喜楽島聯盟については、すでに報道があり、本誌でもお伝えした(産経ニュース 2018.2.28 16:51 “台湾独立派「住民投票を」 そろって会見、李登輝氏も出席、「台湾」名義での国連加盟も訴える”)。
沈氏は、実存主義哲学の虚無についても語り、また、もし自分で決めないのであれば、人に決められてしまう、として、台湾人として行動しないという選択肢が無いことを語り、また、羅福全元代表の夫人であり、台湾独立建国聯盟の財務部長である毛清芬氏が、より厳しい中で台湾独立運動に従事していたのに、常に笑顔を忘れずにいることを例に挙げ、暗闇の中にも光はある、と話を結んだ。
沈氏は、大学教員としてまた運動家として忙しい中の来日であったが、今回の来日中に、「2020東京五輪台湾正名運動」の街頭宣伝にも参加したことを報告した。日本の団体が台湾を支援してくれることはありがたいと語った。
質疑応答では、権力を集中させている習近平氏の動向について楽観的観測をするのはどうか、民進党の国会議員の台湾独立に向けた行動が見られない、自分の姻戚である台湾南部の人たちは「独立」を口にしないが、などの質問があったが、それぞれについて講師から丁寧な説明があり、台湾が直面している問題、そしてその中におかれた人々が如何に行動すべきかについて示された。
なお、筆者に対し、参加者の一人から「喜楽島」には何かの意味があるのかという質問があったので、個人的に講師に聞いてみると、呼びかけ人代表の郭倍宏氏がクリスチャンであるためであるということであった。台湾人が正々堂々と台湾を主張できる輝かしい日を思い描いてのネーミングということであろう。
その後、若者世代の代表として、基進党の日本関東代表である林紋輝(りん・もんき、りん・ぶんき)氏のアピール、また、「民主維新」の代表である李旻臻(り・びんしん、り・みんしん)が台湾から来日してアピールを行った。林紋輝氏は、滑らかな日本語で、沈氏の講演の後半および質疑応答の通訳も担当した。前半は慶応大学大学院博士課程修了が近い王麒銘氏が担当し、研究者らしい丁寧な通訳であった。後で聞くと王氏も花粉症に苛まれながらの通訳だったらしい。
李旻臻氏(女性)は、18歳まで米国で育ったということで、英語でアピールを行った。台湾という国家を守りたい、世論形成をして政府の方向を正しい方向に向けたい、国際関係を強めたいということで、日本の団体とも交流したいと語った。「民主維新」は3名が台湾から来日した。
閉会の挨拶に立った林建良・中央委員は、中国が圧力を強めるなか、米国では台湾旅行法が議会を通過し、台湾関係法があり、軍事面での交流もあるが、日本は台湾との関係を民間の関係として位置づけており、軍事的な交流が出来ない。安全保障面での交流も可能にするには日本版台湾関係法などの法的根拠が必要であると訴えた。
懇親会も多数が参加した。挨拶に立った黄文雄氏は、228事件について、文明の衝突、文化摩擦という見方に加え、最近は、ジェノサイド(民族大虐殺)だったという見方がされるようになってきたと紹介した。
全日本台湾連合会の趙中正会長が乾杯の発声をし、それぞれの人がそれぞれの立場で台湾と日本のために行動しようと呼びかけた。
台湾の駐日大使館の機能を果たす台北駐日経済文化代表処からは郭仲熙副代表が来賓として、流暢な日本語と台湾語で挨拶し、日本と台湾の良好な関係を紹介し、花蓮の震災への日本の関心に感謝した。かつては台独聯盟と敵対した「中華民国」の出先機関を引き継ぐ組織であるが、台湾が民主主義を実践することにより協力できるようになったのだ。
アジア自由民主連帯協議会のペマ・ギャルポ会長は、アジアにおいて、中国の思い通りにさせてしまうことは、人々の自由を奪うものであり、台湾にはぜひ「独立」を実現してほしいと語った。
明石元紹氏は、祖父が革命を支援したロシアを旅してロシア人の人の良さを体験したが、人の良さにより、革命後も共産主義の独裁に苦しめられた。習近平政権が自ら倒れることを楽観視するのではなくて、危機感をもって対応すべきであると呼びかけた。
中央研究院副研究員で早稲田大学に滞在中の許文堂博士は、台湾独立派のグループである「台湾教授協会」の幹部でもあるが、二二八事件紀念基金会の理事として登壇し、228紀念公園の228記念館は知られているが、台北の南海路の米国文化情報局跡地に設置した二二八国家記念館にもぜひ足を運んでほしいと語った。
筆者が許氏と個人的に話したところでは、台湾の各運動団体は現在、募金活動が難しいということだった。というのは、国民党政権下では、寄付金が集まりやすいが、「今は(台湾人が)政権を担当しているのだから寄付の必要がない」と、支援者が考えがちなのだという。
世界台湾同郷会の岡山文章・副会長は、運動の諸先輩への敬意を示し、また継承と団結を訴えた。
細川呉港氏は、満州国に協力した現地のエリートが、戦後、辛酸を舐め、虐殺の被害に遭ったことを紹介した。また、長きにわたる戒厳令下の台湾について、日本のマスコミが当時報道しなかったことについて触れ、記者クラブという制度をとって上からの情報に頼るという姿勢が、独裁者にとって都合の悪い報道を避ける温床ではないかと指摘した。
プログラムにはなかったようだが、王明理・委員長と、講演会の部で司会を務めた黄正澄・副委員長が壇上に立ち、台南に出来る、黄昭堂記念公園、王育徳記念館について報告した。かつては、日本、「中華民国」、中国にとって嫌がられた台湾独立運動家が今は、日本、台湾からその貢献を肯定されるに至ったと語った。
閉会の挨拶として、清河雅孝・関西支部長が登壇し、1969年に来日し、『台湾青年』を読んで、次の年に聯盟に加入した。あと2年で50年になる。台湾人の国を作るまで、独立建国の運動に終わりはないと語った。
参加者は、柚原正敬・中央委員の音頭で、台湾と日本について、万歳を願った。
沈講師の提案で、記念の集合写真を撮影して解散した。その後、仲間と誘い合って別の場所で語り合おうという参加者も少なからずいたようだ。